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2005年 01月 09日
2004年 12月 21日
はいどうもだいじろです。
ここんとこ「虹は何色あるのか」を軸にいろいろと考えてましてね、ちょっとひらめいたところがあったので書き込みますよ。 虹は、ある地域では7色だったり5色だったり、極端なところでは3色だったりしますね。でも本当は何千万という色があって、いちいち全部いうわけにはいかない。 これと同じことがむかしむかしイタリアであったそうです。壁画のモザイクが20000色以上ある中、呼べない色がでてきた。そこでパントンカラーのように番号でふりわけて色を管理していたそうですが、名付けえないものを名付けること、ここに何かが潜んでますね。 色は結局ふだん使っている言葉ー緑とか青とか、12色程度の色分けに落ちてくる。それと同様に、触感もある程度ふだん分かっている質感に落ちてくる。同様にオノマトペだってふだん使っている種類は100個くらいのものでしょう。そうなってくると、典型的な色と素材の連係に限りがでてくるわけですよね。名付け得るもの同士が連結して記号学的な「意味」がでる。 じゃあ名付け得ないものの状態で損なわれていないイメージを連結させることは反対に可能なのか。ついこないだある人のコラージュ作品をみたんですけど、コラージュというかレヴィストロースのいうようなブリコラージュ(自分でためてきたものを異質な形でだして全体を構築する方法論)的なものにハッとしましたよ。 自分の中で断片化した情報をためこんで、ぼんやりとした全体と対話しつつ作品が完成にいたる。全体のクリアなイメージにあった情報を選定するのではなく、断片化しる情報と全体の対話によって全体が見えてくる。 名付け得ない知覚というのも僕らの中に記憶される。名前がないけれど何かを触ったり、聞いたり、食べたりした知覚情報だけがのこって、やがてそれらが連係しはじめる、、、。そもそも体験は全知覚器官の集大成みたいなものですから、触ったり聞いたり、というのもすでに名付けていることになってしまうのですが、名前がないから書きようのない知覚の情報(比喩にすれば話はべつですよ)の連結によって、名付け得ないイメージが、名前を持たないまま作品として具体化できるのではないか。 そしてこの連結、記憶と共感覚によって機能しないかな?と考えます。記憶することは、別に言葉に置き換えて脳みそにインプットすることじゃあない。言葉にするのは人に言葉で自分が体験したものを追体験させる為のてっとりばやい伝達手段にすぎないわけですからね。 出来事の記憶の中に潜む様々な知覚の自由な連結によって見えてくる、予想だにしなかったイメージの生成、、、。名付け得ない知覚の連結によって、名付け得ない作品をつくり出すことの中に可能性はあるのか? そんな事をぼんやりと考えてました。 興味のある方は メルロポンティ著 知覚の現象学 レヴィストロース著 野生の思考 サミュエルベケット/ジルドゥル−ズ著 消尽したもの これらを御参考に。 2004年 12月 18日
![]() だいじろでございます。 面白写真ということで、テーマは名前と顔と、シニフィエとシニフィアン、メガネとヒゲということなんですけど。 話かわりますけど、ネット上の微妙なアイデンティティと他者との距離の存在というのは、不思議なものです。真剣に書いていても冗談ととられたり、冗談で書いているものが真剣にとられたり。まさに鼻メガネ。 日本では「ネットマナー」という言葉が存在しますね。なぜそんな言葉や法則性が存在するのか、という事自体が不思議ですが、そのマナーたるや、実に不可思議なものです。禁煙マナーがルールへと移行するように、国歌が法律によって定められるように、日本では集団化することを強化する為の不可思議なマナーが成立しています。 しかしながらも、マナーという言葉が示唆するのは、ネット上やポストモダン以降における通念的な意味においての社会構造の崩落を通じた自己存在を確定する為の祖型の欠落、もしくは現代社会における不完全な自己認識のあらわれであると認識することができます。 マナーという言葉は、ファッションの中にも根強く生きています。マナー=ある特定の行動様式もしくは生活様式ととらえるなら、我々がどのような流行りの服をきるか、という事もマナーによって定められているからです。時間、場所、状況だけでなく、流行りものかどうか、という事もマナーに関連づけて判断されることは可能なのです。 そして新しいマナーがつくり出された時のみに我々はこれまでと異なるスタイルを「かっこいいもの」と認識することができるし、非常識なものが常識になる、もしくは常識だったものが非常識になる、ということが可能になるのです。 つまりマナーとは大多数によって形成、補強されるシステムで、その点において流行という情動的な構造体系と類似点があります。型にはまるという事は衣服のスタイルにおいても、人間の行動様式においてもありえる事なのです。型にはまること、大きくいえばマナーを受け入れることとは、集団化することによる自己認識の一形式なのです。 この文脈において、規範、マナー、常識といったものは、我々の存在が曖昧になったとき、我々をつなぎ止める最後の手段として存在しています。そしてそれを補完するのは他でもない我々なのです。そしてすでに述べたように、新しいマナーが出現したときにのみにおいて、我々はこのシステムを変容させることができるわけです。 時代精神は常に流動的に変化し、それと同時にマナーも変化し続けます。パノプティコンからデータベースへと、我々が支配されているものが眼に見えるものから眼に見えないものに変化してゆく中我々はいよいよマナーによってしばりつけられています。新しいマナーの出現とはそれではどのようにして可能なのか。 我々は大多数の中にいながらにして、大多数の意識を変化させる意志をもっている存在です。この意味において、社会構造としてのマナーから個人の存在様式としてのマナリズムへと移行すること、マナーの本質を個人の存在へと引き戻すことが、ひいては大多数へ向けられたマナーを変化させることに他ならないと感じています。 様式化された集団における個人の存在から独立した個としての存在様式を生成、刺激、覚醒、回復、探査すること。それが我々がマナーから課された問題であると考えます。 # by rcalondon | 2004-12-18 05:33
2004年 12月 17日
![]() 皆様、版画学科の湯浅克俊でございます。 日曜日のお別れ会&おつかれさま会の件ですが、 どのようなものを食べたいか、意見を募りたいと思います。 何かありましたら、返信ください。 食べ物については、版画のちえさん、まゆみさん、さちこさん(my honey)たちが 中心となって、作る予定でいます。 1年生も来るとの情報を得まして、人数が多くなる可能性が考えられます。 飲み物については皆様、各自で持ち寄ってもらえるでしょうか? 時間に余裕のある方は時間より早めに来ていただけると、 大変助かります。 19日(日曜日) 15:00 かつ&さち家 集合 最寄り駅 old street (northen line) 連絡先 07765514777 それでは皆様、お待ちしています。 かつ # by rcalondon | 2004-12-17 08:02
2004年 12月 17日
![]() だれが書いとるんかわからんくなってない? 全員rcalondonさんになるからなあ。 私混乱してきましたよシャチョさん。 rcalondonつかうときは名乗ってね。 だいじろ # by rcalondon | 2004-12-17 05:53
2004年 12月 17日
![]() どうもだいじろでございます。 2001年に交換留学で京都からやってきた金氏君が個展をコダマ画廊(東京と大阪同時開催)でしてます。その東京展の模様をおくってもらったのでアップしました。 日本の作家っつーのもまた面白いもんで、柔軟さがロンドンとは全然ちがう! サブカルチャー/ポップカルチャーの境界線が見えないからねえ。 カイカイキキのメンツとは異なる形で大衆文化を受け入れる様は面白いです。 2004年 12月 16日
![]() スミトくんへ朗報です。 ジョジョ第7部とされている「スティール ポール ラン」が4巻まで発売されているのですが、またまたスタンドが出てきたらしい。第3部のノリに戻ってきているらしいのです。近々、手に入れたらお知らせします。 # by rcalondon | 2004-12-16 15:28
2004年 12月 16日
![]() 本のところ(画面横)は、どうやっていじるん? 紹介すべき本(ボルヘス)たちが僕をよんでます。 でも僕はよんだんですけど。 いま論文のビブリオグラフィ書いてたんだけど(まだ終わってないけどね) 50冊ちょいしかないナリ。おもったより少ないね。 ちなみにドゥルーズがセンノプラトーとキゴートジケンとショウジンスルモノとヒダの4冊で一番人気で、二番人気がマクルーハンとバルトで3冊でした。ちなみに伝染るんです。もいれていいよね?重要なんだけど、ある意味。 # by rcalondon | 2004-12-16 11:17
2004年 12月 16日
2004年 12月 16日
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