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2004年 12月 18日
![]() だいじろでございます。 面白写真ということで、テーマは名前と顔と、シニフィエとシニフィアン、メガネとヒゲということなんですけど。 話かわりますけど、ネット上の微妙なアイデンティティと他者との距離の存在というのは、不思議なものです。真剣に書いていても冗談ととられたり、冗談で書いているものが真剣にとられたり。まさに鼻メガネ。 日本では「ネットマナー」という言葉が存在しますね。なぜそんな言葉や法則性が存在するのか、という事自体が不思議ですが、そのマナーたるや、実に不可思議なものです。禁煙マナーがルールへと移行するように、国歌が法律によって定められるように、日本では集団化することを強化する為の不可思議なマナーが成立しています。 しかしながらも、マナーという言葉が示唆するのは、ネット上やポストモダン以降における通念的な意味においての社会構造の崩落を通じた自己存在を確定する為の祖型の欠落、もしくは現代社会における不完全な自己認識のあらわれであると認識することができます。 マナーという言葉は、ファッションの中にも根強く生きています。マナー=ある特定の行動様式もしくは生活様式ととらえるなら、我々がどのような流行りの服をきるか、という事もマナーによって定められているからです。時間、場所、状況だけでなく、流行りものかどうか、という事もマナーに関連づけて判断されることは可能なのです。 そして新しいマナーがつくり出された時のみに我々はこれまでと異なるスタイルを「かっこいいもの」と認識することができるし、非常識なものが常識になる、もしくは常識だったものが非常識になる、ということが可能になるのです。 つまりマナーとは大多数によって形成、補強されるシステムで、その点において流行という情動的な構造体系と類似点があります。型にはまるという事は衣服のスタイルにおいても、人間の行動様式においてもありえる事なのです。型にはまること、大きくいえばマナーを受け入れることとは、集団化することによる自己認識の一形式なのです。 この文脈において、規範、マナー、常識といったものは、我々の存在が曖昧になったとき、我々をつなぎ止める最後の手段として存在しています。そしてそれを補完するのは他でもない我々なのです。そしてすでに述べたように、新しいマナーが出現したときにのみにおいて、我々はこのシステムを変容させることができるわけです。 時代精神は常に流動的に変化し、それと同時にマナーも変化し続けます。パノプティコンからデータベースへと、我々が支配されているものが眼に見えるものから眼に見えないものに変化してゆく中我々はいよいよマナーによってしばりつけられています。新しいマナーの出現とはそれではどのようにして可能なのか。 我々は大多数の中にいながらにして、大多数の意識を変化させる意志をもっている存在です。この意味において、社会構造としてのマナーから個人の存在様式としてのマナリズムへと移行すること、マナーの本質を個人の存在へと引き戻すことが、ひいては大多数へ向けられたマナーを変化させることに他ならないと感じています。 様式化された集団における個人の存在から独立した個としての存在様式を生成、刺激、覚醒、回復、探査すること。それが我々がマナーから課された問題であると考えます。 by rcalondon | 2004-12-18 05:33
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